栃尾の系譜×志木の名店 胆沢

町の中華屋さん一大潮流のひとつ「栃尾」
旧新潟県栃尾市(現長岡市栃尾町)から上京した人物が文京区に開業。屋号には自らの故郷の地名を用いた。

今現在「栃尾」は暖簾分けの店舗が首都圏に点在し「練馬区氷川台」「朝霞市」「草加市」「新井薬師前」「板橋区小茂根」などが確認できる。
時を同じく岩手県南部の胆沢町(現奥州市胆沢区)から一人の男がカバン一つで上京した。紆余曲折を経て練馬区氷川台の栃尾で修行を開始する。
そして昭和50年志木市に修行先と同じ屋号の「栃尾」を開業。10人がやっとの店舗だったがいつも賑わっていた。

昭和の古き良き時代・・・開業間もなく店を軌道に乗せる為、ひたすらに鍋を振るう父。田んぼのあぜ道を雨の日も雪の日もバイクで我が子をおんぶして出前を運んでいた母。5年もすると志木「栃尾」から数十メートルに新たにお店を構える事が実現となる。
今度は「栃尾」ではなく自らの故郷である岩手県南西部の地名「胆沢」を用いた。現在は合併し奥州市。それから40年。当時赤ん坊だった子がいまでは大人になり家族を持つ。どの業態、業界でも直面している後継者問題によりやむなく鍋を置くことに。
令和元年1228日 最終日には父と母を元気よく手伝う姉妹や、常連さん、川口市からわざわざ朝鮮焼きを求め昼、夜と連続で来店している方など皆閉店を惜しんでいた様子で一抹の哀愁をどこか感じられた。最後は「もやしそば」と一番人気の「朝鮮焼き」で。
栃尾の系譜、その一つの歴史が幕を閉じる瞬間に立ち会えためぐり合わせに感謝します。
45年間お疲れ様でした。記:おおつか

おおつか よしたか

雪深い地域で生まれ、かまくら作りから始まり今や皆様のお住まいをお手伝いさせて頂いております。人生の中心ともなる住まいが「ほっとできる幸せな空間」となるよう力添えさせて頂ければ幸いです

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